憲法を変える理由は制定過程にあるわけがないし、現実に合わなくなったからでもない

現実に合わなくなったら「憲法を変える」ではない。
その「現実を疑う」のだ。それが法規範という考えだ。そして日本の「マジョリティ」がいう「現実」とは「なりなりて」とか「水に流れてなんとやら」という、まるで「自然」のように捉えるそのおかしな感覚にある。
さらに言えば「一億総懺悔」を行った日本の臣民は、戦争さえ「自然災害」として、終戦日が8月15日ということもあり、戦争が人為的な「犯罪」であることを「否認」した。
改憲しなければならない根拠はたったひとつ、その法的規範における過誤だ。
ゆえに大日本帝国憲法はその過誤ゆえにアジアほか英米にも戦争の惨禍をもたらしてしまったであるから、当然、それは改正されなければならない。
だが、改正されなければならないという内部の意見は弱く、外部の連合国からその改正の力はもたらされた。
大日本帝国政府のポツダム宣言受諾降伏は、明治憲法の改正を迫る法的規範効力を有する。
松本烝治が占領がとけたときに言い出した「アメリカからの押し付け」というのは、日本が敗戦しポツダム宣言受諾した経緯を無視した愚論である。その松本烝治はGHQから明治憲法の改正を望まれ、美濃部達吉の改正の必要なし、という意見により手直ししかせず、GHQに提出し、却下され、急遽、マッカーサー案が草案されたのだ。この歴史を見ればわかるが、松本烝治にマッカーサー案を作らせた責任はある。押し付けとはよく言えるものだ。自分が招いた現実ではないか。
さらにつけたしていえば、当初マッカーサー主導のGHQ案は、君主制を予定していたが、国民主権として日本国憲法に書き込んだのは日本側の「憲法研究会」である。国民主権を主張したのは「日本人」であったのである。生存権は社会党の森戸辰雄だ。
いつしか、アキヒトさんが五日市憲法を賞賛していたが、彼は五日市憲法→日本国憲法という流れを遠回しに言っているのだ。それは単なる押し付けではない、と。日本国憲法には、五日市憲法、板垣死すとも自由は死なずの自由民権運動、大正デモクラシーの日本国民が国体主義者によって潰された「権利」を求める声が結実した、と。そういうことだ。
アキヒトさんの意見を拡大解釈しても仕方がないが、現に日本国憲法は、それは日本の国民が知らず知らず求めていた法なのだ。
アメリカからの押し付けと言っているのは国体主義者の流れの安倍晋三や日本会議や日本のゴミである「右派」ではないか。
ゴミの意見を日本にのさばらせておいてはいけない。
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