植松は、ヘイトクライムではなく、孤立化した人間の攻撃性が外に向かったその一例である

確かに植松聖は反社会性的人格障害ではあるが、だからと言って、その人格障害が殺人を起こすには、ある種の跳躍が必要である。
その跳躍の契機が、介護労働の不合理さと重労働と見せかけの障害者尊重ではないのか。
植松は会社に怒りを持つ労働者の典型的な間違いを示していることの実例である。
私がこの会社で不遇であるのは、仕事のできない同僚の存在である、というのが、多くの労働者が抱く間違いの考えである。
であれば、職員にだけ怒りを向ければいいのだが、介護に限らず、アンペアドワークはサービス対象の客にも怒りを向けてしまうことはある。よくあるのが、小売店の労働者による、客への悪口である。そして、中高年クレーマーが増加した現在、客への憎悪が固着する。
植松の場合、その反社会性的人格障害が、介護障害に向いておらず、知的障害者に対する介護という重労働、障害者に対してサービスとして従う、そのことが、障害者がクレーマーに見えてもおかしくないのではないか。
さらに、植松は、勤務時代、入所者に対する暴行を起こし、解雇させられ、措置入院、その後、生活保護受給、その打ち切り、といった状況的孤立が、植松に、障害者抹殺こそが、自身の困難を乗り越えるための、動機、へ促す要因と化した。
さらに、社会全体が、片山さつき、の貧困者バッシングに見られるように、弱者抹殺のイデオロギーが全面化している現在では、植松は、そのイデオロギーを、そのまま受け入れ、政府に手紙を出したのだ。つまり、あなたたちのイデオロギーの弱者抹殺を私が行う、という「忠誠」である。
その「忠誠」は、反社会性的人格障害に攻撃的な抑うつも伴い出したことではないのか。
その、抑うつの心理が、植松を障害者抹殺の跳躍の契機ではないのか。

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