パワハラとは「理想の上司」に変われば済む問題ではない

パワハラ問題がなぜか理想の上司像とは何か?という問題にすりかわってしまうのが、それはパワハラをわかっていないのではないか。
パワハラは、行き過ぎた注意・指導としてとらえたがる傾向が、日本でパワハラがとまらない原因でもある。
たとえば、「お前、頭使え」とか言うのは「指導」でもなければ「注意」でもない。仮に部下が仕事がうまくいかなければ、上手くいくように教育するのが、管理者の責任ではないか。
つまりは、パワハラとは、指導や注意もしくは教育ができない者をいつまでも、責任職に据える企業の管理問題である。
そもそも企業のトップというか人事というか総務が、管理をわかっていないのです。「調整」という美名のもと、パワハラした人間が社内の有力者でありそれに逆らうと困る、というそういう事情があるのです。ですが、これは、企業だけではありません。日本の組織はいたってどこもそうです。

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