植松容疑者のその殺害をヘイトクライムと呼ぶことで彼のロジックは成就してしまう

植松容疑者が発言したその「障害者はいらない」を中心に「アンチヘイトクライム」とか「ヘイトクライムに闘う」なるその呼び掛けが、植松容疑者を「ヘイトクライムの思想犯」という意味ありげな存在にさえ、そのことにより、植松容疑者のロジックは成就される。つまり、植松容疑者に対し、「ヘイトクライム」と呼ぶものは植松容疑者の「狙い」を手助けしているのだ。なぜなら、彼はそう呼ばれたがっているから、ヒトラーの思想が降りてきた、とか言っているに過ぎない、つまり「自意識」だ。
だが、単純に、即物的に事件を見ればこういうことだ。
植松容疑者が行ったことは殺人であり、殺人は、健常者を殺しても罪であることには変わりない。そして、正当防衛ができない知的障害者を殺すということは「刑法」に照らし、いかなる意味を持つのか。
そういう議論をしなければいけない。

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