いつでも植松聖化してもおかしくない「人間」が多いのではないか、と僕は毎日、不安です(笑)

僕は正直言って、植松容疑者のような若者には出会いたくないが、いつでも、そうなる可能性を感じる「人間」しか日本には存在していないのではないか、と毎日感じています。
ですので、この問題は、上から目線で、ヘイトクライムとか流行語で済ませる事件ではなく、日本社会の現在の根っこにつながる深刻な事件だと考えています。
植松容疑者が行ったことは、断じて許される事件ではない。
だが、家族まで非難してはいけない。
そして、この事件の加害ー被害の関係は、加害者の植松容疑者がまるでチーマーが、障害者を殺していくそういうものに見える。
ほかにもホームレスを殺す若者とかにも見える。
自分では解決できない不満をより弱い者へ、攻撃性が向かう事件であり、日本の学校はいじめが常態化しており、これもより弱い者へ攻撃性が向けられる。
大きくとらえれば、虐待社会のその極端な事例が相模原障害者殺人事件である。

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