相模原障害者殺人事件の植松くんが、精神障害者であれば、こうならないか?

相模原障害者殺人事件の植松くんが、精神障害者であれば、こうならないか?

植松聖くんが、重度の精神疾患であれば、やまゆり園は、障害者に障害者の介護を行わせていたことになる。
つまり、使用者は、植松聖くんが、精神疾患であることをわかっていたのか、わかっていなかったのか、が、争点になる。
もし、使用者が、植松くんが、精神疾患であることをわかって使用していたのであれば、それは、当然、使用者の過失責任が問われる。
そして、植松聖くんの、障害者はいらない、は、自分に向けて言っていたのではないか。
さらに、ここは、私の推測は使用者は、植松聖くんが、精神疾患であり、虐待を起こしたから、彼に使用者が、障害者はいらない、と言ったのではないか、私はそのように見ています。
自分が使用者からいわれたことを、頭に入ってしまい、障害者はいらない、を叫んでしまった。
実はそうなのではないのか。

僕は、大多数の意見に反旗を翻すのが趣味ですので、
大多数の、相模原障害者殺人事件をヘイトテロ、と表現する幼稚な思考に釘をさしておきます。

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相模原障害者殺人事件の植松くんが、精神障害者であれば、こうならないか?」への5件のフィードバック

  1. 自分は15年ほど前に無料低額宿泊所の運営に関わっていたものです。
    人手が足りないので現業も(泊まりこんで料理洗濯など)
    人手が足りなくて職安経由で調理人を雇ってみましたがこう言う事業所
    なので良い人材は来ません。(面接の後は辞退がほとんど)
    常勤スタッフも同じです。
    社会からドロップアウトした社会的訓練がなされてない
    人材を雇うしか無いのです。
    (殆どの場合社会的訓練とスキルのある人は他の業種に行きます。)
    知的障害や生活保護者を支援?して行くには
    高度な教育と社会性が必要とされる筈なのにそういう人材は居ません。
    もし知的障害者を介護支援する事業が高度な意識と社会性を身につけた
    ある意味大人?である人材を活用するのなら差別意識がなく訓練された有資格者や社会福祉などの知識があるかどうかを見極める試験が必要です。相模原の施設はそれもせずに、知的障害や福祉の理解が出来ていない人物を雇用してしまった。
    いわゆるここのブログで仰る精神障害とは、そんな人物のことを指しているのかと思います。

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  2. こんにちは。いつもお世話になっております。札幌「資本論」に学ぶ会です。
    この社会の中で何が正常な精神か?を問うてもあまり意味はないでしょう。安部は果たして正常なのか異常なのか?とか。あるのは総理大臣という事実。
    というわけで、就職時の面接で問題なければ、人手不足の介護職場にはすぐに勤務することができます。やはり問題は、ある意味「好青年」であった彼が介護職場で働く中で自分も、また周りの同僚もまた疲弊し、回復の見込みもなく「無駄に生きている障碍者」の介護という未来も何も見えない低賃金の労働を続けさせられるという現実の中で、たまたま「植松」という人格が崩壊に至ったのでしょう。そういう意味ではどこで起こっても不思議ではないことです。その中で日常あふれるヘイトや排除に感染したのでしょう。思想なんてもんじゃなくて、彼は崩壊する自己を正当化する理屈として「障碍者排除」の考えを自己流に昇華していったのだと思います。その時点で退職(諭旨退職?)し精神科への入院となったと思います。
    この社会で障碍者の介護・介助をどう評価し位置づけるのか、それをどう保障していくのか、それが見えなければ多くの介護労働者は「精肉工場」で働いているも同然であり、労働の評価や充足感などはあり得ないわけで、資本主義の中で「社会と労働」の関係が完全に破たんした例だったと思います。
    また大麻云々が出ていますが、専門の人に聞いたところでは大麻による凶暴性はあり得ないという話でした。長文失礼しました。

    いいね: 1人

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