植松聖に障害者ヘイトという「政治的な意志」がそもそもあったのか

植松聖を、ヘイトクライムとみる人間は間違いを犯している。
個人の犯罪、組織の犯罪、国家の犯罪と分けて考えれば、植松の犯罪は、個人の施設に対する怨恨が基盤にあり、彼が施設を襲撃し、障害者を殺害するにいたったその事件の彼なりの「理論武装」がインターネットでみつけてしまった「ヘイト思想」なのだ。その「理論」により、彼は殺害にリアリティを与えたのだ。ということは、個人の怨恨事件、としか呼べないのではないか。
ヘイトクライムが目的ではなく、個人の怨恨殺害。その理論が「ヘイトによる意味づけ」だ。
彼は「ヘイト」による煽動が目的であろうか。
そのような「ポリティカルな意志」に基づいて殺害したのだろうか。

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