児童虐待の母親もまた、あんたなんかいらない、という。これは植松聖が障害者はいらない、というその言葉と同型の論理である

どんな人間も孤立には耐えられない。例えば自分の子どもを虐待する若い母親がいますが、それも孤立であり、植松聖化です。彼女たちはこういいます「あんたなんか生まなきゃよかった」と。そうです、植松聖が「障害者はいらない」とまったく同じ論理でもって虐待する。それが孤立による虐待・暴力です。
つまりこれはヘイトクライムというようなわかりやすいなにかいったような流行語で語っては現在の新自由主義の労働者の孤立化や人間の孤立化を隠蔽する。つまり孤立化による閉鎖空間での「虐待・暴力」の延長に「相模原事件」がある。

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