権力のチェック機能とは、国民と対国家の関係性だけでない。 原理的に考えれば、あらゆる組織、団体にも言える

立憲主義は、国民から国家に対する権力のチェック機能とよく言われるところではあるが、であれば、そのチェック機能は国家だけではないのだ。あらゆる団体、組織にもそれは当てはまるのだ。
身近な例を言えば、労働組合の委員長がかわらない労働組合などは、権力のチェック機能が働いていないではないか。その委員長において、実績がある、ということが証明されれば、それは委員長は変わらなくてもいい、という論理は成立しない。なぜなら、労働組合は、原理的に企業に対し、何らかの解決、闘争の実績が宿命づけられている。つまり、実績など、当然の話であり、その実績程度で組織のトップに居座るのは反民主主義以外、何者でもない。
権力のチェック機能とは、国民と対国家の関係性だけでない。
原理的に考えれば、あらゆる組織、団体にも言える。
もっと身近な例をあげれば、たかだFBの会ごときの管理人が、自分にとってくだらない投稿を投稿したその程度で、その投稿者を排除するのは、まさしく、権力の暴走ではないか。
さしずめ、民進党の鳥越擁立など、チェック機能ができていないのう。
つまり、ミクロレベルの権力のチェック機能の怠りこそが、マクロレベルの立憲主義の崩壊に導いている。
さしずめ、党のトップにとって気にくわない党員を排除する日本共産党には自身がすでに権力のチェック機能が、存在していないのに、なぜ、立憲主義を唱えることができるのか。噴飯ものだ。
日本社会は上に立てば立つほど自分に対して厳しくある、という常識を忘れ、権力風を誰もが切る、嫌な体質の人間しかいなくなった。
つまりは、国民の味方の権力者だから、チェックしないのでは、その甘えがレーニン=スターリン主義につながる。
国民大衆は、あらゆるトップをチェックせよ。

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