人間の喧嘩が思想が理由でなどということは、先ず、ない

思想が同じでも人格が違えば喧嘩の原因であり、むしろ、多く喧嘩や争いの原因は後者である。多くの前頭葉肥大の観念論的自称リベラルは、わかってもいないのに、思想が、だとかしゃべり、さらに現実を悪化させる。
逆に人格が安倍晋三と三宅洋平はまったく似ているから思想が違おうが、アッキー三宅食事という事態になり、人格が違えば、たとえ口にする思想が同じでも、いや、同じであるからこそ「小異」(志位委員長の好きな言葉!)にこだわり、喧嘩が起きる。安倍と小池などその典型だ。
考えが同じでもあんたの顔が嫌いなんて、ざらにある。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
むしろ、増田のほうが安倍にとっては手なずけやすいからそれが安倍にとっては安心素材である。

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