自分が大好きな自民党世襲議員

僕は資本論と現在、読んでいる岡田尊司先生の働く人のための精神医学で、世の中の見方が変わってきた。とくに後者は人間観察に役立つ。
多くの人が語る思想、イデオロギーは、それに形をして変えたその人の別の何かの形象である、と見るようになってきた。
自民党議員が憲法に伝統を、と主張するのは、それは、自分たちの家が、国民を支配してきた伝統を述べているのであり、それは、自我に対する固着であり、親離れができていない。
私はそう見る。
現在の世襲議員がほとんどを占める自民党議員の問題は、タカ派とか右翼とか、誰もが簡単に指摘できる表面上の政治もどきではなく、彼らが口にするそれらその言葉は、わたしを愛して欲しい、という単なるわがままな自分大好き人間の歪んだ心理である。
その歪んだ心理に、できるタカ派小池百合子の登場は、自民党世襲議員のアイデンティティを揺さぶる。
小池百合子と石原息子の確執は、「自民党家」の「自我」の問題であり、その自我問題につきあう野党共闘もまた元がん患者を利用してまで、その「自民党家」の確執の修復を図る、奇妙な「反対勢力」であり、そのことが自民党議員が好む聖徳太子の十七条の憲法の和をもって貴しとなす、の反映であるが、なんのことはない、それは教育勅語の後付けのフィクションである。神話を持てない日本が創作した「神話」である。
自民党議員が好んで口にする個人思想が、日本をダメにした、であるが、そっくりそのままその言葉を世襲の自民党議員に私は返したい。
エスカレーターで何の苦労もなく「進学した首相」安倍のその「のびのびとした個人」はなんなのか?
庶民がいつ、安倍晋三や自民党世襲議員のように「個人」を満足できたのか。
庶民は戦後の「民主主義」国家の時代も耐えがたきを忍び、ではないか?
現在、まさに、窮乏を強いられる庶民のどこに、どこに、どこに、どこに個人があるのか!
ふざけているのか!自民党!
そして、世襲の民進党議員も、なんらトップの地位が脅かされない志位委員長!
お前らのように庶民は「個人」を満足できていないのだ。
ふざけているのか。
なにが野党共闘だ。
野党共闘へ、あなたたちは、夏の参院選で安倍晋三に負けた、そのことを認め、なおかつ、恥じなさい。
その現状否認のその心理こそが、自民党世襲議員と同じ病んでいる心理なのだ。
庶民は、またもや、黙って事変に処さなければいけないのか!

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