自民党が寛容だったから国民経済が安定していたという「妄想」には笑わされる

バブルがはじけるまで国民生活が安定できていたのは、田中角栄のおかげでもなく、「自民党が寛容」(不破哲三の問題発言)だったからではない。ましてや保守が劣化していなかったわけでもない。

自民党が寛容だったから国民経済が安定していたという「妄想」には笑わされる

自民党はあくまで、資本家の政党であり、その政党は大半が労働者の国民生活など、ほっておけば「収奪対象」である。現に今は、「収奪過程」にある。
現在は、再編成された本源的蓄積の途上にある。
自爆営業はまさに「収奪」である。
ここで「搾取」と「収奪」の違いを明確に認識しておくために簡単な例を述べる。
労働者が労働日を必要労働を超えて剰余労働をはじき出すのが「搾取」である。つまり、トヨタの内部留保は「搾取」である。
だが、郵便局の年賀はがきのノルマ営業やアパレルの服を買わせる、コンビニの余ったおでんをかわせる、は「収奪」である。
ブラック企業とよばれる企業が現在行っているその生産形態は、「搾取」に加えて、「収奪」である。
アベノミクスの年金を投資につっこむ、などはまさに「本源的蓄積」の時代にふさわしい「収奪」である。アベノミクスは、「本源的蓄積」のシンボルである。
(貸与式奨学金は将来の労働者である学生から収奪する盗人のメソッドである)
過労死は大英帝国でエンクロージャーで追い出された農民が路頭に迷い死ぬようなことと近似している。
では、なぜ、バブルがはじけるまで国民生活が安定出来ていたのか。

第一は、通産省の護送船団方式が、企業が銀行からカネ借りやすく、そのカネが労働側にまでまわる余剰があったこと。

第二は、総評=社会党の存在が資本=自民党の規制になっていたこと。

現在はこの2つは消滅し、企業の資金調達は市場から、そして社会党=総評は、中曽根により国鉄ほか電信電話公社、日本専売公社を民営化された結果、労働運動は息の根を止められた。

国家=資本=自民党の規制がいまや弱体化し、資本の本性が表れたのである。そのような事態にAEQUITASのように最低賃金あげて内需拡大など、なんら意味がない。最低賃金があがれば雇用数が減るだけだ。
資本は必ず反撃してくる。その反撃を止める「力」が今や弱体化した現在、われわれ労働者はほしいままに「収奪」されるだけだろうか。

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