「欺瞞の法律」ヘイトスピーチ法

ネット右翼やヘイトスピーチデモに参加してしまうような人も、企業内でいたぶられ、もしくは、外国人と就職市場で競争させられ、比較され、その結果、苦しんでいる人であることが多い。
彼らは、外国人より日本人は大切ではないのか、と口々に言う。
その舌足らずな表現をそのままとってはいけない。
移民労働者が日本国内に増え、そのことで仕事が奪われ、その結果、ブラック企業で自分は働かねばならない、というような間違った認識に陥っているのかもしれない。
その間違いを、大学教授が指摘してもなんら有効ではない、かえって悪化するのだ。
彼ら、「日本人」は、「資本」に「苦しめられている」からだ。
「ヘイトスピーチ」に向かわざるを得ない、大衆の苦しみが、なんら富裕層の「自称リベラル」には見えていない。
富裕層に「差別をしてはいけません」と資本にいたぶられているごく普通である「日本人」に対して言うことは、「欺瞞」でしかない。
いったい、問題の所在はなんなのか。
その所在が明白にならないのに、「ヘイトスピーチ」を社長室や企業内でいう企業の経営者が企業の外で言わないからといって、その企業の経営陣の「人格」が高潔に見え、大衆のびっちな「ヘイトスピーチ」が「資本」=「国家」により「規制」されるのことこそ、差別的な構造そのものである。
有田議員や安田浩一ほか欺瞞の「反ヘイトスピーチ」論者は、街頭の、ネットのといった「大衆空間」におけるビッチなファックユーの言動だけとりあげて「差別反対」と叫ぶ、無機質国家の管理者である。彼らは手塚治虫のSFに出てきそうな中央のロボットのようなものだ。
ヘイトスピーチ規制は大衆や議会の議員や内閣や官僚には効き目が多少あるかもしれないが、そもそも議会の議員や内閣が「ヘイトスピーチ」を行うこと自体、人権後進国・日本の実情である。
だが、企業内のパワハラ上司や経営陣が、外国人に向かって「てめえ仕事できないなら国へ帰れ」という言葉にはなんら「ヘイトスピーチ規制法」では関知できない。またこういう経営陣は、企業外では「反ヘイトスピーチデモ」に参加したりすることもある。
そして、ヘイトスピーチ規制法は「言動」だけことさらとりあげて、糾弾する「室内ネット空間」の産物である。
ヘイトスピーチ規制法は「実体」(リアル)を捨象したいかにも現代風のその場しのぎの対処法であり、「すいません」といっておけば、逃げられると考えている「日本的なあまりにも日本的な」法律である。
ヘイトスピーチ規制法には、実体も社会も構造も肉体もない。
あるのは言動を取り締まりたいという「警察的な欲望」だけであり、その「警察的な欲望」に多くの「正義」を行いという、無知な日本人がのめりこむだけだ。

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