πを3.14…で教えてもらったか3で教えてもらったかの差が重要だ

今ある世代論は、僕は大事なことを述べていないとみる。
大事なポイントは、πだ。
πを3.14…で教えてもらったか、
3で教えてもらったかの違いは大きい。
πは数学という規則に則った学問の空間で、割り切れず不規則だということを、強く存在し、その存在こそが、数学の本質、そして世界の本質であることをわれわれに教えてくれる。
そのπの認識こそが、重要だ。
つまり、政治活動も労働運動も、アートも企業の経営もだが、割り切れて終わるということはありえない。
割り切れないが、暫定的にその結果で前に進む、をわれわれ人類は選んでいるのであり、その暫定を認める勇気こそが大切だと私は考えるのである。
暫定こそが「民主主義の本質」であり、「民主主義とはπ」なのだ。
それは、割り切れず不規則に並ぶのだ。
ゆえに、人工的に規則正しい政治活動は、いずれ、ファシズムに至る。
人類は、その人工的に規則正しい政治活動を、無意識に求めている。
特に日本人は。
現在の日本社会は人工的な予定調和でないと、キレる人間が増えてきた。
それは、πを3で学んだか、もともと自然に触れていない世代なのだ。
戦前の天皇絶対主義下において、日本人民が激しく闘争的であったのは、むき出しの自然が存在し、その自然とともに生きてきたその感覚があったからであろう。それは気持ちやこころの問題ではない。
身体感覚のリアルの問題だ。
必ず、自然に人工は負ける。
その感覚が戦前の日本人を激しく闘争的にしたのではないか。
国家は人工なのだ。
いまだ自然と格闘していた戦前の日本人は、その人工に対する疑いは強くあったのではないか。
そして、現在の日本国民は生まれてから人工物に囲まれ、「規則正しくないと」こらえきれない人間になり、その結果、リセットし、自殺してしまう。
つまり、自分を割り切ってしまうのだ。
だが、人間もまた自然の一部であるから、それは常に割り切れない存在だ。
朝言ったことと夕方言ったことが違うこともある。
それが人間だ。

人間は間違える生き物である。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中