安倍さえ倒せば日本がよくなるという野党共闘の主張は、なんら権力にとって怖くもないのだ

労働者によくある勘違いが、いい会社になれば、われわれは解放される、である。
それと、同じ勘違いが、国民にある勘違いが、国がよくなれば、われわれは自由になれる、だ。
その二つは、勘違いだ。
労働者や国民が解放されたり自由になるには、それら会社や国を自らのものにしなければいけない。
それは、よくする、ということとは別次元の、権力闘争、である。
会社がよくなろうが国がよくなろうが支配層は存在する。
その支配層を認める、それは安倍さえ倒せば良い国になる、という妄想を強化してしまう、つまり安倍晋三を退陣に追い込もうが、権力機構は、別の「人格」を首相に立てるだけのことであり、権力機構は依然と変わらないのだ。
警察、自衛隊、官僚、経団連、自民党は存在する。
そして、さらなる間違いが安倍は自民党ではひどい部類だから、安倍さえ取り除けば、自民党はよくなる、だ。
権力とは、「人格」問題ではないのだ。
「構造」「力」「機構」
であるのだ。
つまり、安倍さえ倒せば日本がよくなるという野党共闘の主張は、なんら権力にとって怖くもないのだ。
実際、自民党内部は、安倍を追い出したがっている。
それが、谷垣によるアベノミクス批判だ。
自民党も、安倍のままでは、国民の離反が起きてしまう、そのことを恐れているのだ。
以上のことを踏まえ、私はこう予想する。
夏の参院選は安倍は退陣されたが、自公政権は続き、戦争国家化が、与党、野党、小沢一郎、SEALD、山口二郎の協力により進行する。
わかりやすくいえば、企業内組合という企業に協力し、いい会社のために力を尽くしてきた連中が「野党共闘」の中心的核でありその核の意識を支える「協力」が、「国家協力」へいつでも転じる。それは論理的にみて、不思議ではない。
企業内組合であるAが企業というBに協力すれば、その企業内組合が中心である存在の野党共闘であるAが国家というBに対して協力するのは、なんら奇妙ではないではないか。
そして、現在の政治の危機は、安倍もそうだが、対する反安倍の闘いを「間違い」だと誰も指摘できないその「統制」にある。反安倍の闘いの間違いを指摘したら、ネトウヨ扱いされるか、陰謀だとか、分裂工作だとか言われてしまう。そのことが「言論の自由」の「危機」の深刻さである。

打倒!安倍なんてそうむつかしくない、勝手に反安倍がむつかしくしている、単に学会員に公明党へ抗議しろ、で済むのだ。
つまり、山口二郎と中野晃一は本質的に「闘争タイプ」ではないのだ。単なる書斎派だ。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中