安保法制が違憲だという間違い指摘なんて、政治家でなくても高校生でもできる

昨日も仕事現場の百貨店で、来客の夫婦が、奥さんが道間違えたのか、そんな些細なことに怒るおやじがいた、を私は配達中にみた。人間誰だって間違いがある。自分より、弱い奴だとみるから、そんな些細な間違いで怒ることができるのだ。相手は奥さんだから俺には逆らわないだろう。その考えが卑しいのだ。男尊女卑だ。
人間は間違える生き物なのだ。
自分とは別人格の間違いに対しては、怒るわけでもなく、それは、間違いだな、こうじゃないか、と言えば済む。
それを鬼の首をとったかのように、間違い、間違い、とあほらしいのだ。
これは、話を拡大するが、今の野党共闘の安倍に対する闘いが、その間違いを指摘して、終わる、というまるで学級委員長並みの低レベルなのだ。
間違いには種類があり、弱者の間違いなど、些細なことなどなのだ。
だが、権力者の間違いは、その間違いが問題ではなく、その間違いがもたらす実害が大きいということだ。
安保法制が違憲だという間違い指摘なんて、政治家でなくても高校生でもできる。
その高校生レベルの闘い並みのスローガンしか作ることができない野党政治家も「劣化」している。
その野党政治家の「劣化」を誰も「怖くて」指摘できない。

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