天皇制が伝統であるわけがない、それは「権力の型」のひとつである

天皇制は伝統なのか?そう思わされているだけだ。
われわれ現代人にとって、天皇制とは明治以降の天皇制ファシズムの在り方であり、それは今でも続いている、安倍政権がそうである。ゆえに現代の天皇に政治権力が憲法上存在しないと明記されていても、天皇制が存在する限り、それを使用する権力者は必ずいる、天皇にかしずく形でそれは存在する。
安倍首相の天皇万歳を記憶しておくべきだ。
それが「天皇制」だ。
「天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができないのだ。人間の正しい光は永遠にとざされ、真の人間的幸福も、人間的苦悩も、すべて人間の真実なる姿は日本を訪れる時がないだろう。私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建遺性のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。」(続堕落論 坂口安吾)

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