天皇は「象徴君主」ではない、それは「日本国の象徴」である

天皇が「第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 」とは、どういうことか?
日本国の象徴は、一見、日本の伝統を受け継ぐかのように見えるが、それは、なぜなら、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」」であるから、それは、主権在民国家・日本の象徴であるから、「日本の伝統」とは言えない。それは、常に現在の主権在民国家・日本の「象徴」である。それは「第9条」とみてもいい。天皇とは、第9条である。そして、日本国民統合の象徴とは何なのか。
天皇は日本国の象徴及び日本国民統合の象徴に規定されることで、君主の地位から追放されたとみていい。
スウェーデンは象徴君主があるということを言いたい人がいるだろうが、その人は重要なことを忘れている。
日本は敗戦国なのだ。
日本に天皇が敗戦国であるにも関わらず、斬首もされず、生き延びることができたのは、アメリカの国家戦略の結果でしかなく、巷間、言われている日本国民が天皇を好きだという「左翼がまき散らした嘘」ではない。実際、ソ連のスターリンは戦争責任として天皇の処刑を求めたのである。これはなんら不思議なことではない。
戦争とは、敗戦国の責任者の死や逮捕をもって完結するからだ。
ここで歴史的に重要なことを言えば、大日本帝国から日本国憲法へ改憲するにあたり、GHQは、というかマッカーサー元帥は、立憲君主制の線で憲法を考えており、実はアメリカ側は、国民主権を考えていなかったのである。だが、当初、却下された松本蒸治と美濃部達吉顧問による大日本帝国集成案ではなく、その次に白羽の矢が立った憲法研究会は国民主権を掲げ起草した。日本側が「国民主権」を主張し、GHQの民生局は日本にも民主主義があったと喜んだということだ。さらにその憲法研究会の高野岩三郎は「共和制」を唱えたが、会のメンバーから賛同を得られず、マルクス経済学者の大内兵衛に至っては、時期尚早とまで高野に告げ、天皇は凍結された。その凍結方法が「象徴」であり、これもまた「憲法研究会」の発案だ。ここで類推できるのは、憲法研究会は、共和制に至る過程として「象徴天皇制」としての「凍結」なのだ。つまりこのような事情から見て、天皇は君主の地位を奪われたとみていい、
もし、君主であれば、日本国は、日本王国とでも呼べばいいはずだし、さらに憲法に「天皇は王である」とでも書けばいいのだが、
「第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 」という「象徴」に凍結された。ここで重要なことは、留保付きではあるが、法理論的に国民は天皇を縛ったのである。当然、天皇は国民に縛られる「義務」がある。
なぜなら、日本を敗戦に追いやったその責任は大きい。さらにアジア諸国に対する甚大な戦争被害。ほかにも様々な「大日本帝国」の「戦争被害」や「戦争犯罪」は数々あり、その最高責任者は、天皇なのだ。

第1章 天皇

第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第7条天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
第8条天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
第9条天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス
第10条天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル
第11条天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
第14条天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第15条天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス
第16条天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス
第17条摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル
2 摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ

以上みたように天皇は絶対であり、その絶対が戦争責任から逃れらるわけがない。

だが、当時のGHQは、戦後米ソの冷戦を視野にいれ、天皇温存を図り、日本の共産主義化を阻止したのである。戦後、天皇の役割は「日本の共産主義化を防ぐそのシンボル」として機能させられた。
極東軍事裁判による天皇の戦争責任を免責したことに対し、当時の法学者である蜷川新は、アメリカの情実により、天皇が免責されるなら、日本の戦犯全員免責しろ、と述べ、われらは文明国であり、文明国である以上、法に従うのが当然であり、ゆえに天皇の戦争責任の免責は許されない、と述べ極東軍事裁判を批判した。

昭和天皇には戦争責任が存在する。それが免責されようが、なぜ、天皇に君主の地位でいられるのか、だ。

この責任を見ずして、天皇を君主たる地位が温存されると考えるほうが「ロマンチスト」である。

その戦争責任を日本国民は法理論的に「象徴」「政治発言・活動の禁止」という形で縛ったのである。これは天皇制廃止に向けた暫定的な「地位」が「象徴」である。

そして、政治上、国民と君主は階級の敵同士である。
その敵階級である君主が、国民統合の象徴など、ありえるわけがない。

そのことを考えるうえで簡単な喩え話をする。
労働者階級統合の象徴とはなにか、を考えて見る。
それが、経営者であろうか。
労働者階級統合の象徴が、スティーブ・ジョブズではおかしいではないか。
労働者階級統合の象徴は、「〇〇スト貫徹」であったり「8時間労働」であったり「有給休暇」ではないか?

であれば、日本国民統合の象徴が君主であるとはいえない。
つまり天皇は象徴君主ではないし、敗戦国であるある以上、君主が温存されると考えるのは甘えである。
つまり、自民党や改憲派が叫んでいるようなことは、敗戦国であることを自覚できない「甘え」「甘え」「甘え」だ。

日本は第9条さえ抱えて静かに生きておればいい。

君主でなければ何なのか?それは先ほども述べたが、天皇制廃止に向けた「象徴」という「凍結」である。
それが「公務」として天皇に与えられているに過ぎない。

敗戦国・日本の象徴なのだ

敗戦国・日本の「象徴」が「君主」でいられるわけがない。

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