ファシズムは、独裁だが、その独裁とは政党政治の崩壊・廃墟・不信の上に聳え立っている

どうも間違った理解を大衆はしている。
ファシズムは、独裁だが、その独裁とは政党政治の崩壊・廃墟・不信の上に聳え立っている。
日本の現状は、大衆に広範に広がる政治不信だ。
だから、妙な政治家というか妙なSEALDは「投票を呼び掛ける」ではないか。この政治不信は、自民党と社会党の見かけの保革伯仲にすでに内在していた。社会党も共産党も、彼らは組織票に立脚した政党でしかなく、その「立脚」が、関係ない未組織労働者には「不信」を招いた。政治不信は今さら始まったのでもなければ、消費社会もあるが、実は野党も積極的な政治活動を行っていたのか、というと疑わしい。もし行っていれば、現在のような大衆の政治不信はない。
さらに崩壊は、ソ連崩壊→社会党縮小・総評消滅→土井たか子の「硬直な政治方針」、連合という総評と民社系の結婚、
そして、日経連の階級闘争である「新時代の日本型経営」における資本の攻撃が非正規労働者という未組織労働者の拡大により、
野党の基盤が半分失われた、その基盤の失いが「政党政治の崩壊」」のベースである。
自民党と資本は完全に労働者階級を破壊した、とみていい。
このことを「自覚」しているのか、よくわからないが、野党の「国民」のうるさいまでの「連呼」である。
だが、政党とは、party つまり、それは一部なのだ。
ゆえに「国民」を連呼する政党は自民党も「国民」を連呼するように、基本的に欺瞞である。

自民党が国民右派であれば、日本共産党は国民左派、民進党は国民企業労組派、だ。

だが、なんどもいうが、山尾志桜里議員だけが国会で、個人のブログである ‪#‎保育園落ちたにほん死ね‬ を取り上げ、代表されるものと代表するのの具体性を示した。

その具体性にしか、政党政治の崩壊・廃墟をとめる手立ては他にない。

日本は現実の制度は代議制民主主義であるから、政党政治の崩壊・廃墟が「直接民主主義」へ移行する、というエセ評論家の言葉に騙されてもいけないし、国会前のデモがなんら大阪ダブル選挙、イケマキの勝利につながっていないことも重要視し、政党政治の崩壊こそが民主主義の崩壊だ。

それは与党と野党の「共依存」の産物だ。
いくら野党が与党を批判しようが、それは「共依存」の関係だから、自民党は、日本共産党破防法閣議決定、という「遊び」で対応する。与党と野党は、夫婦仲が悪い夫婦のようなもので、それは安倍夫妻の奥さんより野党は弱い。

つまり、私はかねがね、野党政治家を批判しろ、という意味は彼らに民主主義の緊張を与えるのだ。

それは有権者を怒らせると、野党政治家も敵だ、ということだ。

主権は政治家にない、われわれ政治家を選ぶ国民にある。

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