個人として、負けた野党の政治家に、言論で批判する自由はある

個人の自由を認めるもない、それは絶対だ。人権上、優位にあるのは個人の権利であって、「共闘」ではない。さらにいえば、個人が消去された「共闘」は「共闘」ではない。それは「全体主義」だ。
であるので、
われわれ、個人、である、人民が、野党に選挙対策やその政治活動のふがいなさにより、われわれ、個人は個人の権利である、言論の自由、及び、表現の自由、により、批判を加えるのは人権上、憲法上保障される。
さらにいえば、野党、がんばったではない、確実に今後、野党が敗退すれば、夏の参院選で自民が圧勝した場合、安倍の戦争国家化への道が整備されてしまう。
つまり、野党共闘が選挙で負けることは一歩一歩、戦争へ近づくことだとわれわれ、国民、は危機感を抱いたほうがいい。
つまり野党敗退責任をわれわれは戦争という形で国民へその責任が転化されるのだ。それはそういう意志があろうがなかろうが、関係ない。構造の問題だ。(理系ならわかるはずだ)
そのような状況で、いかにも「やさしさ」だけを装った、野党はがんばった論はかえって悪である。
さきほど、書いた戦争への道の整備は、
地獄への道は善意でしきつめられる、が、その野党がんばったねという「表面的やさしさ」により作られてしまう。
野党になぜ、選挙で負けたのか、を説明させる約束さえ、われわれ国民は要求してもいいくらいだ。
本当にあなたたちは戦争を止めたいのか?
戦争を止めたい、止めたい、と騒いでいるだけで、なんら、有効なことはしていない。
有効なことは野党が選挙で勝つ、それだけだ。
であれば、勝てる野党の構築には、まとまっているから野党批判という甘えた考えを捨てるべきだ。
どうやって勝つのか、今後、野党政治家はその戦略をもっているのか、追求すべきだ。
それが人民の人民による人民のための政治だ。

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