なぜ、モンスター・ボランティアが起きてしまうか、だ

なぜ、モンスター・ボランティアが起きてしまうか、だ。
それは、「みんな」という語の暴力性に内在しているのだ。

地震災害が起きた、みんな、どうしますか?

その答えに、いや、俺は家が介護のお母さんがいるので、とてもいけません、と答えようものなら、みんな、がたたくのだ。

みんな、とはそのような暴力言語である。相手に答えの択一性を強いるそれは「ハラスメント用語」である。

だが、

われわれ一人一人、あなたたち一人一人は、各人に応じて対応しなければならない、であれば、

先ほどのケースでは、それを聞いたほかの一人が、君んちも「災害のようなものだ」、とユーモラスに答え、だったら君のその災害も考えよう、とか、地震災害は、可能な人が行こう、そして、こっちの災害も支援しよう、それは各人に応じて、だ、という民主的な議論として形成されるのだ。

だが、みんなだと、みんなは災害救助にボランティアに行かねばならない、と命令になってしまうか、英語でいえば、must shouldになってしまうから、言われたみんなは、考えもなく災害地に行き、モンスター・ボランティアになる。

今後も、「みんな」を使用する人間を、全体主義者として人民は糾弾したほうがいい。

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