AQUITASは本当に労働者の味方なのだろうか

最低賃金を向上するとなぜ、AQUITASが言うように、公正な社会へと進むのか、私には理解不能の考え方である。
なぜならば、すでに、AQUITASが主張している最低賃金時間給1500円以上の労働者など多数存在しており、最低賃金が1500円に向上したところで、格差は依然として存在しており、唯一言えるのは、賃金低下のストッパーの金額が高くなっているだけの話であり、最悪な予想は、同一労働同一賃金の美名のもと、1500円を超える労働者の賃金が1500円に落とされる可能性も考えなければいけないか、賃金が向上したばかりに、利潤圧縮による資本の不安が、またもや、リストラ、という解雇を再発進させることも視野にいれなければならないので、AQUITASがオプティミズムに語る経済安定など、こない。
そして、最低賃金が向上しようが、タックスヘイブンのケイマン諸島や、マネーロンダリングのスイス銀行は存在しているので、やはり、公正な社会など、来ない。
彼らの最低賃金向上の動機が、よくわからない。
かっこつけて、平等より公正だと、遅れたポストモダンもどきを言おうが、その動機の薄弱さが所詮、経済が良くなる、という資本家向けの幼稚なプレゼンで終わっているところに、反知性主義を感じる。
というか資本も国家も「経済安定」など考えておらず、頭にある剰余価値の増殖=利潤拡大だけである。だから、資本家のプレゼンですらない。
経済安定など、資本は求めていないその現実をまず、AQUITASはわかっていない。こういう部分が、ピケティ以降の「格差縮小運動」の「限界」であり、マルクスの資本論の原理的理論は乗り越えられていないのだ。
AQUITASは資本論第1巻、労働日、本源的蓄積を読むべきだ。
最低賃金向上の要求は、19世紀大英帝国の激烈な労働者と資本家の間の労働日を巡る闘争のような闘争と比較すべき、労働者の権利向上の、生存権の闘争である。それは、一言でいえば、雨宮処凛の名言「生きさせろ」である。
AQUITASは本当に労働者の味方なのだろうか。
もし、労働者の味方であれば、アドバイザリーボードとして相談すべき相手は、闘う労組や、闘う労働者ではないのか。
だが、彼らは闘う労組や闘う労働者の広範な意見を聞いただろうか?
逆にエコノミスト・水野和夫が来るだけで喜ぶ単なるミーハーではないのか。
このようなミーハーな運動は、ミーハーのSEALDと同じように消えてなくなるだろう。SEALDもまた政治的影響力がないように、AQUITASも資本への対抗力はない。
今後、AQUITASが運動を行う必然性は、この組織が「産業報国会」として機能するだけであり、それを待ち望んでいるのは「日本共産党」かもしれない、というブラックな落ちをつけてしめくくるとしよう。

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