人種・民族・ジェンダー問題もまた「階級問題」である

一見、経済に関係がないような人種・民族・ジェンダー問題も、経済が強いる格差との関係抜きにして語ることはできない。
それら、人種・民族・ジェンダーを、そのものだけに焦点化し、語ると、人間の本性は?という、誰もが通俗的な答えを用意して待ち構えて語り出すものもいれば、全く語ることできない者もいる。
つまり、人種・民族・ジェンダーなる概念と、人間の本性は、だとか、生命論的な語りは、それら人種・民族・ジェンダーといった概念が、そのカテゴリーを都合よくマージナルな労働力として搾取し、資本が利潤を蓄えた、という近代の問題を隠蔽化してしまう。
それは、人種・民族・ジェンダー問題もまた「階級問題」である、ということであり、階級として固定化されたから事後的に人種・民族・ジェンダー問題がまるで「生命論」「人間の本性」といった形而上学的転倒に化したのである。
なぜ、日本に在日朝鮮人が、存在するのか。それはいうまでもなく、日本という国家と資本が、朝鮮人というマージナルな労働力を必要とし、搾取どころか収奪対象として、強制的につれてきたからである。アフリカ系アメリカ人がアメリカにいるその同じ暴力を、我々日本民族の支配層は、日本の発展のために、という、全く、日本には、なんらそのことに関係ない朝鮮人が、収奪対象として選ばれた。その歴史こそが、大日本帝国の帝国主義的膨張の、源泉、である。
在日朝鮮人はわれわれ日本民族の暴力的連行の結果、発生した。それは日本政府が責任をとるべき植民地問題である。
この歴史性を抜きにして、仲良くしよう、と加害側の日本人が、日本人として、差別を無くそう、と語るのは、日本人好みの美談にしかならない差別の反復であり、帝国主義日本を無自覚に支えてしまう、無知、である。
善良だけが取り柄の無知が陥る誤謬が日本社会に存在し、その誤謬に、誰もが疑いを抱かず、仲良くしよう、と大合唱して、さらに、被差別の在日は追い込まれる。
仲良くしよう、と言われて拒否した在日は、その差別はいけません、という善良日本人に罵倒されるだろう、または、仲良くしよう、と言っているのに、断るとは何事か、と差別はいけないと言っているような日本人からまた、差別されるのである。
日本人として差別はしない、という言葉は、満州で、朝鮮人も同じ仲間だ、という偽善の侵略日本人とそう変わりあるまい。
差別はいけない、という日本人は、人間はときとして、ひとりでいたい、をわからない鈍感な感性しかないのかもしれない。
追記 宗教問題もそれもまた「階級問題」である。 なぜ、長らくブッディストがブッディズムの生地インドでは、アウトカーストなのか。 アウトカーストに固定化したからこそ「ヒンズー」の階級的優位性が可能になった。 そうである、階級、である。

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