なぜ、自衛隊に手を振るものが「女子高生」でなければいけないのか

自衛官は災害地で、がんばっているから女子高生は手をふってあげて、は、本来なら、われわれ自衛官は国家のために身を挺する覚悟であるからそのようなものは、気持ちだけはいただき、民間人の女子高生であるあなたは家に帰りなさい、というのが「軍人」である。
自衛隊は災害地でがんばっているから女子高生は手をふってあげて、は、まるで自衛隊を「軍隊」以外の、定義曖昧な組織とみなすその感性が言わせている。
自衛隊は災害地だから女子高生だから手を振って、なんて、戦争のブラック喜劇な「M★A★S★H マッシュ 」以上の不条理が日本の現実に出現しているのである。
ここにも「自衛隊」は「軍隊」ではないかのような嘘がまかり通っている。
そして、自衛官が災害地で、がんばっているから女子高生は手を振ってあげて、だったら、女子高生は、がんばっている「日本人」全員に手を振らなければならなくなる。
がんばっている、が手を振る理由ならば。
また、こうも言える。
自衛官はがんばっているから女子高生は手を振ってあげて、手を振るなら「女子高生」でなくてもいい。男でもいいではないか。「がんばっている」が理由ならば、だ。なぜ、「女子高性」なのか、だ。 それは、セクシズム、だからだ。男でなくても、宇宙人でもいいではないか。
トミー・リー・ジョーンズでいいのだ(?)(わかんねえよ)
もっといえば自民党に反対する人間でもいい。
がんばっている、が理由ならば。
(というか被害者より先に自衛隊に会いにいく安倍ってなんなのさ)
いつから、自衛隊は災害救助隊、という平和の使者になってしまったのか。
自衛隊を災害救助のために必要だというその考えこそが、安保法制ででたらめに議論された「安全保障」を無意識に支えてしまっているのだ。
自衛隊は、軍隊であるから、違憲。
このような明確な論理を戦争反対論者は手放してはいけない。
つまり、災害救助で被害者を助ける、というその善意の考えが、するりとテロ対策のために「自衛隊」は必要、という国民の声に転化してしまうのだ。
だが、自衛隊とはなんなのか?
国家の常備軍、である。それ以外に定義はない。

文中の「M★A★S★H マッシュ」とは↓

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