これは純粋な行為だから、とか、社会貢献だから、とか言って、従事している人間を「金銭ゼロ」で動いてもらうから市民運動はいつも発展しない

フロイトは、とにかく治療費を患者に要求した。コミュニケーションに「金銭」を介在させることが、人間を無用な摩擦から避ける。
これは純粋な行為だから、とか、社会貢献だから、とか言って、従事している人間を「金銭ゼロ」で動いてもらうから市民運動はいつも発展しない。
つまり、運動の側の「主催側」が甘えている。
これが金銭絡むと、今のようなぬるい運動では済まされない。
まるでルーティンワーク化したビラまき、ルーティンワーク化したデモ、そんなルーティンでは済まされなくなる。
もっと運動家の主催者は真剣になる。
まだまだ日本の運動は「ぬるい」
故・忌野清志郎は、デビュー前でもギタリストのちゃぼにはギャラを払っていたのだ。
市民運動家は、いやあ、うちはボランティアですから…といって、なんら恥じないやつは「甘い」。そんな「甘い運動」など、当然、発展しない。
市民運動家の主催者は、参加してくれた人間になにか、「お返し」をしているだろうか?
え?と考える運動家の主催者は、民衆に甘えている。

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