よく、政党に主導されないデモがいいと最近、言われるけど…

よく、政党に主導されないデモがいいと最近、言われるけど、それは一見、正しいように見えて、その言葉の意味が、政治性を帯びない「デモ」であれば、「デモ」を行う必要性はないし、しかも、その「デモ」をまるで、市民の声(一部でしょ)であるかのように、政治家がそのデモに参入するのは、政党が主導しないはずが、政治性を帯びてしまう、という矛盾に陥る。
人数的に見て、国会前に集まっただけの市民を「国民の声」と拡大するのは、無理があります。
政治家が安易に市民のデモに参加するのはやめたほうがいい。
政治家が行うのは、それが候補者であれば、キャンペーンだ。
政治家の票稼ぎのためのデモであれば、旧来の「政党」主導のデモのほうがはるかにましです。というのは、このデモは〇〇党の主導か、と。市民はわかりやすい。
今の「政党主導」しないデモは、脱政治性の管理主義の表現であって、それもまた全体主義である。
現在の日本の大衆は、政治参加が、選挙とデモ、の二種類しか、存在しない、と勝手に自分で決めつけている。それもまた、「全体主義」である。
むしろ、職場で、労働現場の些細なことに抗議する。
学生が、学費値上げに抗議することのほうこそ、「市民の政治参加」のストレートな表現である。
ワンイシューのデモというけど、それはワンイシューという「観念的な政党」に主導されてしまっているのだ、そのデモには一方向に向かせたがる「支配者」と同じ視線が、そのデモリーダーにある。つまり、「全体主義反対」と叫ぶデモも「全体主義思考」に染まっている。

日本には体制側の全体主義と反体制の全体主義が存在するだけで、個に立脚した「民主主義」は、いつになったら誕生するのだろうか。

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