障害者は「かわいそう」でなければいけない、を、乙武は、公的にそのイメージを破る

障害者は「かわいそう」でなければいけない、を、乙武は、公的にそのイメージを破るので、多くの、五体満足すぎる大衆は、それに加えて、減らず口で乙武をバッシングする。自民党出馬や不倫は、とってつけた理由である。
実は乙武をバッシングする人間は、自分が自民党から、君、出馬してくれませんか、俺が不倫したい、という欲望を無意識に持っているのだ。だから過剰にたたく。
僕は、乙武氏の、自民党出馬は、国民の候補する権利を行っただけとしかクールにしか受け止めないし、不倫といっても、五体不満足の乙武氏に不倫相手は容易に不倫をできないでしょう。それはひとつの「技術」なのだ。
五体不満足の乙武が、それら、五体満足の世間的な欲望を、五体満足の俺ができないのに、なぜ、お前が行えるのだ、という、差別感情が、文の冒頭で書いた障害者は「かわいそう」であってほしいその五体満足の側からの勝手な期待像が乙武の「自由な考え」によって、自分の正義感にみえる幼稚な感情が汚されるのだ。
乙武不倫で過剰にバッシングするのは、バッシングする側の五体満足の人間の「感情が汚されたから」だ。
僕は、乙武の不倫など、課長島耕作のように、その権力を利用した不倫ではないので、五体不満足の彼も、不倫をしたい、というその欲望をかわいいなと考えるだけです。
乙武が五体不満足で、一旗挙げた障害者ふぜいのくせに、まるで成功した健常者の様に愛人を5人も持っていたから? 自分は健康だからと、優越感を感じていた障害者は、可哀想で不幸で努力を重ねた真面目な人間でなければいけないから?
そういうパブリックイメージを「アナーキー」に破った乙武をバッシングしようが、われわれ五体満足の側の、固定観念は変わらない。
自分より下だと思っていた「乙武」が、不倫で、解放されるのが、五体満足の健常者は、許せない、その嫉妬感情こそ、「大衆のニーズの淵源」だと知っている故・斉藤十一が作り上げた週刊新潮が大衆にその「ネタ」を「大衆市場」に放り投げたのである。
乙武をバッシングする人間は、故・斉藤十一の術中にはまった「いいお客さん」だ。
乙武がエロメガネだからといっても、私はそのキャラクターをむしろ愛する。
日本の自称弱者側に立つ、と言っている多くの人は、赤信号さえ無視しないまじめな弱者しか救いたくない。
乙武のような「破天荒な弱者」は、「イメージが悪いから」といってかえって弱者をいじめる。
乙武バッシングで見えるのは、弱者の選別を健常者が行っている、ということだ。
障害者も人間であるからには世俗的な欲望を抱き生き、そして、死んでいく。
それは人間だからだ。
その厳然たる事実に、健常者は我慢ならない、だ。
大手メディアが乙武擁護していれば自民党の力でも何でもない。まだ彼は出馬をするかもしれないだからだ。
それは彼が障害者であり、その彼をネット上の無責任匿名アカウントが行うようにバッシングはできない。
当たり前ではないか。
しかも乙武は稼げるタレントだぞ。
そして、週刊新潮から不倫醜聞がでたということは、保守の本丸は乙武が自民党から出てほしくないからあのようなリーク記事がでるのだ。
週刊新潮の乙武醜聞不倫は、保守本丸は乙武が自民党から出馬してほしくない、彼のような障害者がもう表れてほしくない、という自民党と日本会議の露骨な本音を、不倫という醜聞でリークした。敵を倒す戦術は性絡みといういつものパターンをまた反復したのである。

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