斎木陽平氏の言葉の「保育園落ちたのは自業自得」だが、だったら、落ちない人は他力本願であるのか

安倍晋三の親戚の斎木陽平氏の言葉の「保育園落ちたのは自業自得」だが、だったら、落ちない人は他力本願であるのか。そもそも両方ともにそれは単に「運」ではないか。そして、保育園という施設に「運」が紛れ込むことなど、社会保障として失格だ。
‪#‎保育園落ちた日本死ね‬ の論点が私が落ちた、落ちない、の私小説的な価値にすり替えられている。これは、‪#‎保育園落ちたのは私だ‬ の功罪だ。
#保育園落ちた日本死ね を書いた人は落ちなくても、‪#‎日本死ね‬ という視点は持っている、と、僕は見ています。
問題は、保育園、介護問題だけてはない。
保育園の待遇の酷さは、#日本死ね で、死ね、と宣告された日本システムの機能失調のシンボルである。それは例えば、‪#‎郵政民営化忙しくなったが賃金上がらない日本死ね‬ もあるだろう。
だから、私が落ちたか、落ちない、が問題ではない。
日本の現在のシステム、とりわけ安倍政権に至ってからの失調の加速が、#日本死ね を言わしめた。
だが、
見方によっては、もう、‪#‎日本は死んでいた‬ という見方もある。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中