能面を日本人は誰もがかぶっている

日本は女性だけでなく人前で怒ることはない。男も人前を気にする。感情をあらわにするのは「はしたない」とされている。能面を日本人は誰もがかぶっている。
こういう社会は人間の生の感情をとかく、「洗練化」する。
その例が、‪#‎保育園落ちた日本死ね‬ を ‪#‎保育園落ちたのは私だ‬ といい変える。多くの人は、死ね、という言葉に怪訝を示し、その露わな怒りを実は見たくないから、私だ、と万人向けにいい変える。
だが、その露わな怒りを人間を、露わな悲しみを人は見なければならない。
ワタミの社員の胸くらをつかんだ、遺族の父親のように露わな怒りをストレートに表現すること。
人前で怒ってはいけない、泣いてはいけない、という自分への縛りを外さない限り、日本人の内面の抑圧は、続く。
ちなみに僕は、河村たかし市長を支持しないが、議会で、露わに怒りを示したことはいいことだ、ヤジも飛ばしたわけではない。
確かに、人前で感情を、そして、職場で猛烈に上司へ怒りを示したら、解雇の恐れもあるだろう。
だが、その職場の全員が行ったらどうなるのだ?
日本人は、そういう同調にも弱い。
「みんな怒っているから。」
そもそも怒りは「みんな」の感情なのか?
あなたの「個人」に関わることではないのか。

みんながこういっているが、俺は断じて、そのことを認めるわけにはいかない、というのもあるのだ。

そういう怒りを表明できてこそ、「個人の尊厳」の意味が腑に落ちるのではないか。

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