元社民党秋田県連副代表の相馬ヱミ子大館市議を擁護する

「元社民党秋田県連副代表の相馬ヱミ子大館市議(67)が市議会で、独身の福原淳嗣市長(48)に対し「未婚の市長とは議論できない。結婚を」と発言し、市議会は1日の本会議で戒告の懲罰を科した。

相馬氏は2月29日の本会議で保育士不足について質問した際、福原市長に対し「まだ結婚もしていなし、子供もいない。これでは同じ土俵で議論できない」「市長にはぜひ、この任期4年間の間に結婚してもらいたい」とl述べた。」(文中より)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160301-00000566-san-pol

 

確かにこれは事件の表面しかみない馬鹿にはセクハラに見える。
だが、なぜ、元社民党秋田県連副代表の相馬ヱミ子大館市議は、

「未婚の市長とは議論できない。結婚を」と言ってしまったのか?

そのことをわれわれ人民は考えなければならない。
私はこの事件を調べたわけではないので、強くは言えないが、この記事でわかる範囲では、

保育士不足に質問したその結果、市議の対応に相馬ヱミ子大館市議の癪に障るような態度や発言があったのではないか。

「一部議員が懲罰動議を提出し、懲罰特別委員会が地方自治法が定める「公開の議場における戒告」を可決。本会議で保守系会派や公明、共産などの賛成多数で可決され、議長が戒告文を読み上げた。」

さらにだ、野党共闘、と小うるさい日本共産党までも戒告になんの疑問もなく賛成してしまう鈍感さに私は野党共闘は、やはり「嘘」だと思わないでもない。
野党共闘であれば、あえて、この場は、大舘市議を擁護するのが、「共闘」すべきものの「倫理」ではないか。
例えば、保育士不足是正に対する彼女の熱い情熱がこのような暴言に至った。だが、このような暴言は自民党にくらべればかわいいものであり、むしろ、その熱い情熱が大事だ、とかなんとか言って擁護するのが、野党共闘のいいだしっぺの「義務」であるはずだ。
このような不利な状況で、さっさと、切ってしまう「日本共産党」に人民の権利を託したら、人民は、例えば赤信号を無視したから、さっさと切りかねない「抑圧装置」になることは見えている。
日本共産党は、相変わらず、人民の「自由」を公然と管理、抑圧する「暴力装置」であることは、まったく変わっていない。

日本共産党、それは右翼社民党。

人民は保育士不足に対して憤っている大館市議を擁護するのが、人民の権利拡張につながることがわからないのだろうか?

政治は間違い探しではないし、正解を言えばいいというものではない。

政治の本質は、闘争、である限り、自陣で政治的不利に陥った人間を擁護するのもまた「戦術」である。
その戦術が、組織を強化し、連帯力を高めるのだ。
私はなにもむつかしいことはいっていない。むしろ、私が言っていることは。やくざ、であればわかるはずだ。
そして、国民の大義、だとか古めかしい演歌みたいなフレーズで人民を惑わす日本共産党(その本質は右翼社民党)は、この市議を捨て、過去は関西生コンを切り捨てる、まったく「義侠心」がない政党である。

そんな政党が「国民の大義」だと?
いつまで人民をなめているんですか?
右翼社民党の日本共産党へ。

もっとシンプルにいう、大舘市議は女性だ。
日本のような家父長男性社会で虐げられている側が、支配者の男に
結婚しろ、というのは「セクハラ」ではない。

抗議だ。
抗議こそが「民主主義」である。

私は、元社民党秋田県連副代表の相馬ヱミ子大館市議を擁護する。

多くの女性は、男性から結婚しろ、結婚しろ、いつ結婚する?いつ子供生まれる、と訊かれているのに、たかだか市議に結婚しろ、といったくらい、なにが罪があるのか?

これは、ヤジではない。やむにやまれぬ、暴言だ。こんなもん、人民に想像力があれば、大舘市議を守ろう、になるはずだ。そうならないことが、日本が民主主義でない証拠だ。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中