ああ、権力打倒!と叫び、その組織がいかに「権力主義的」か

無責任な人間は、他人の「協力」を拒む。
だが、責任能力が高い人間は、仕事は終えなければいけないので、その「協力」をその人間に応じて、行わせることができる。
「協力」を拒む拒む人間は、実は自分の「実力」を悟られたくない臆病者だ。
マルクスは述べている。
各人に応じて、だ。
マルクスは従え、とは一切述べていない。
「協力」ができない体制は、必然的に服従-被服従のステレオタイプな権力を発生させる。
ああ、権力打倒!と叫び、その組織がいかに「権力主義的」か。
連合赤軍からオウム真理教、にまで、またはISIS、アルカイダ、ら「反権力組織」にみられる「病理」である。
彼らは「協力」と「信頼」という人間の基本的な「チームプレイ」ができない異常な人間なのだ。
前衛やテロ志向、暴力志向の運動体は「終焉」した。
いまや、もっとも大事な「視点」は、諸個人の連合、association である。
バーニー・サンダースは、そのassociationを切り開くみちを示した。
もし、バーニーが、日本の権力主義的な前衛党のように指導すれば、彼は支持はされないはずだ。彼を支持しているのは多くは大学卒のインテリの、経済は貧乏なだけの「階級」なのだ。
その経済だけは貧乏の「階級」が見えないのは、日本の諸左翼である。
彼らはいまだに貧乏はその人間の「人格」に起因する。「意識」に起因するという自己啓発を手放したくないのだ。なぜなら、「指導」できなくかるからだ。
バーニーは「協力」「信頼」の美しい成果だが、日本のSEALD’sは「服従」の醜悪な見本である。
日本は、その社会に問題がある。
決して、左右の思想の問題ではない。
個人が、チームプレイ、をしたくない利己的な人間が企業から政治、そして反権力組織まで動かしており、チームプレイを求めるときは「愛国心」だとか「自己犠牲」だとか「党のため」だとか「企業のため」だとかいったスローガンで個人を抑圧するくらい社会なのだ。

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