「立憲主義」の逆説

マッカーサーは、というか、連合国は、国の主権を尊重し、最初は、美濃部達吉!(天皇機関説!)を顧問にした組織に託し、美濃部が大日本帝国憲法は改正の 必要なし、ということで、多少、字句を修正して、連合国に渡ったから、これは却下され、次期候補の高野岩三郎を中心とした憲法研究会に日本国憲法の草案が 託された。この日本国憲法制定で重要なことは美濃部は権威ある憲法学者だが、その彼の法解釈では確かに「大日本帝国憲法改正なし」である、客観的にみても そうだろう、だが、そのような専門的な法解釈は、「政治」「歴史」の前に挫折する。そのような風景はわれわれの眼前に繰り広げられている憲法学者の「安 倍」への「抵抗」だ。彼らは、確かに正しい法解釈でもって、「立憲主義の回復」を叫ぶ。だが、「大日本帝国憲法」もまた「立憲主義」である。そして「自民 党憲法」が「立憲主義的」ではない保障は「政治」「歴史」は行わない。
戦後直後は、大日本帝国憲法を守るために「立憲主義」は「専門家の法学者」は援用し、現在は、日本国憲法を守るために「専門家の法学者」は援用する。
歴史の弁証法が、まさに日本国憲法への反として襲い掛かる。
われわれはその風景に呆然と立ち尽くすしかないのだろうか。

いまだに周知されていないけど、日本国憲法の制定は、GHQはポツダム宣言の降伏文書を調印・受諾した日本国の「主権」を尊重して当時の日本の指導層(そ の中には、1950年代ごろ、日本国憲法は押し付けだと議会で述べた松本蒸治もいる)が顧問・美濃部達吉(天皇機関説!)を迎えて「新憲法草案」に取りか かったが、美濃部が「立憲主義」を法的根拠に置いて「大日本帝国憲法は修正なし」と主張し、字句が修正されただけで、連合軍にその案が渡された。だが、当 然ながらポツダム宣言により、戦前の秩序を放棄したことを認めた日本国は大日本帝国憲法そのままの「法秩序」を維持できるわけがない。
ゆえに、押し付けではない、連合軍は日本国の「主権」を尊重していたのである。

押し付けという場合は、アメリカ軍が、軍事力でねじ伏せた、という場合にしか適用されない言葉だ。

わかってないが、連合国は、敗戦国家・日本の主権を尊重していたのだ。それは歴史の事実だ。

その主権の尊重こそが、demodracy だ。

 

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