在特会の主張が「ヘイトスピーチにしか見えない」のは、頭の悪い「白木葉子」(あしたのジョー)である

SEALD’sは年長世代に気に入られる意見しか言えない「反抗できない若者」の運動である。そのような運動が日本社会を変えるわけがない。むしろ、抑圧が進行する。
むしろ、人民大衆の裸の「本音」は在特会である。
あれは教科書官僚的馬鹿左翼が表面的に見ればヘイトスピーチの問題だと声高にその教科書左翼にしか保障されない言論(金曜日だとか朝日だとか)で主張されるが、彼ら在特会の主張は「社会的不平等の是正」だ。
彼ら在特会は、頭が悪いのか、というか多くの人民大衆は彼らのような迷妄に生きている。在特会の言いたいことはフリーライダーを許すな、である。
だが、在日特権なるものは日本に存在しないし、世界中のどの国にもあるわけではない。
社会的不平等の不満の原因を、まったく存在しない在日特権に見出すが、それは、彼らもまた、社会から排除された結果である。
人民大衆は、労働現場で、あいつはまったく働かない、とある労働者を敵視することがある。給料泥棒だ、と。そういう心理がフリーライダーを許すな、であり、そのような心理は人間は誰しもケチまたは嫉妬もあるので、もっている。そのような心理は馬鹿左翼が言うような理性で片づけられる問題でもないし、馬鹿自己啓発が言うような意識の高低の問題ではない。ましてや古市憲寿の差別用語「劣化」「スペック」でもない。またそのような心理を私は持っていないと言い切る人間はうそつきである。いえるのは、少ないか多いかだ。そしてフリーライダーを許すな、は当然、競争を前提にした資本主義がもたらした「物質が頭で変換された観念論」であり、「存在が意識を規定する」だ。ともにカール・マルクスの言葉だ。
そして、在特会の「いい朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」は、ドイツ・イデオロギーが示した「その時代のイデオロギーは支配者のイデオロギー」の定義そのものの事態なのだ。カギカッコ内もマルクスだ。
では、なぜ、在特会のような「運動」が広範に日本に拡大しているのか?
答えは明白ではないか?
安倍内閣が「差別を利用した政治」を存分に使用しているからではないか。
バカな野間が言うような安倍晋三が在特会に影響されたのではない。
日本の支配層のイデオロギーが在特会に刻印されたのである。
過去の自民党は、安倍のように公然と差別を政治に利用していたのではないが、決して、在日に選挙権を与えよ、とも言わないし、与えないのに見せかけの「民主主義的言葉」である「選挙に行こう」を役人に言わせていただけである。その選挙に行こう、を今は決して反抗しない若者のSEALD’Sが主張しているにすぎない。
SEALD’sが反抗しない証明が山口二郎に屈服しているではないか。彼らは大多数の日本人のルサンチマンの対象でしかない、安倍晋三を倒せ、と叫ぶだけだから、安全なのである。国家がSEALD’Sを嫌がろうが、大多数の大衆はSEALD’Sをその政治的意識ではなく、外見で支持する、それだけである。そのことが広告代理店的な政治。まさに「新自由主義」である。
では、有田民主党議員のようなヘイトスピーチ規制で在特会の運動は沈静化されるのか?
違う。
むしろ、地下に潜り、さらに暴力化が進む。
なぜなら、在特会の主張は、社会的不平等をフリーライダーが起こしている、という「新自由主義」の意識が反映された観念が言葉となって現れたのである。
ではどうすればいいのか。
そう簡単に答えを言えるほど、私は不誠実な馬鹿左翼ではない。
一つ言えるのは、急速に進行する社会的格差を是正する運動を起こさなければいけない。
経済的格差が存在するのに、民主主義を取り戻せもない。
経済的格差が日本国憲法が保障する「法の下の平等」を踏みにじる最大の要因ではないか。
私は、その条文は、人種、性、といった人権的カテゴリーに属しているというような法律的衒学論争をしているのではない、事実、日本国籍が付与されている「日本国民」である派遣労働者は、その派遣寮が住民票と違う場所にあるので、彼らは投票できないではないか。この事態に「投票に行こう」もない。そのようなことを言えるのはまさにあしたのジョーの白木葉子のような偽善のブルジョア心理が言わせるのである。SEALD’Sは「白木葉子」である。
法の下の平等は派遣寮に住む労働者には、投票権を行使できないことで、まさに「法の下の平等」が踏みにじられている。普通選挙が制限選挙に成り下がっている。ちなみに私は、労組の労働者供給事業の仕事が収入が上がる、ということで紹介された仕事は、通勤に車が必要だということで、車を手に入れるには、車庫証明が必要なので、実家に住民票を変えれば?と言われたが、それはどういう意味か?私から選挙権を剥奪するつもりなのか?私はこの労組と縁を切ることを決めた。
それはともかく。
現在、政治的に解決しなければいけない喫急の課題は、格差是正である。
永住外国人に選挙権を付与せよ、という運動もこの格差を変える。
なぜなら、その彼らの声を無視できない政治家どもは、差別発言はおろか、仕事など考えなけれなならなくなる。
そして派遣労働者の派遣寮に住む労働者が簡便に投票できるシステムを社会は考えなけれないけない。それはまさに平等を実現するための装置だ。
どこぞのバカのように平等と公平を比較して「公平」が重要だ、というような欺瞞的言説は不要だ。フランス革命の「自由・平等・友愛」の実現こそが「公平」なのだ。そして現在の「新自由主義」下の激烈な資本主義社会においては、ブルジョアの自由、ブルジョアの平等、ブルジョアの友愛、はまさに経団連の堅い結束ぶり、日本会議の堅い結束ぶりにより、われわれ人民に示されているではないか。
現在、主張すべきは精神的自由ではない。
精神的自由も安倍政権=国家資本に踏みにじられるのも「格差」という強い「力」があるからだ。
われわれは、真剣に自由・平等・友愛の意味を考え抜いてこそ、ようやく「民主主義を取り戻せ」という「軽薄な軽口」を言えるのである。
「民主主義ってなんだ」

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