没落を恐れる中間層が主体の運動であるSEALD’sと国民連合政府運動は、いったい、どこへ向かうだろうか?

没落を恐れる中間層が主体の運動であるSEALD’sと国民連合政府運動は、いったい、どこへ向かうだろうか?
なぜ、彼らが、執拗に「国民」「普通」「市民」「ママ」という言葉にこだわるのか。
それは、自分たちが中間層であり、国家のもっとも重要な「中心」である、という自意識がそうさせるのである。
彼らが呼称する国民とは「中間層」のことである。
だが、現在、没落中間層の拡大がますにつれて、彼らの運動の基盤も失われつつある。それは非正規拡大約4割という現実が彼ら「中間層の没落を恐れる運動」(それはブルジョア意識)は、空洞化しはじめた。
彼らの言葉に「リアリティ」を感じなくなった層の拡大である。
これは右左の表面的な思想問題でもなければ、SEALD’Sの牛田が言うような「知能」の問題ではない。
見よ、この「思いあがった牛田」を。見てて痛いw

階級問題である。
この中間層階級に、本来、労働者階級の政党である共産党(共産主義なんでしょ)が彼ら「中間層」の政治的代表の顔をする、という転倒した笑えない喜劇が現在の日本の政治の混乱の一部である。
反安倍勢力には、SEALD’S、国民連合政府、市民連合、というような「没落を恐れる中間層階級」と「低所得層階級」の二分化が始まったのである。
これは階級問題であるから、くりかえして言うが、右左の表面的な問題ではない。
この二分化を表面的な反安倍で糊塗するのは、反安倍の危機を招く。
この二分化がもたらす「矛盾」が行き着く先は、自民党勝利、改憲である。
その兆候は社民党の増山麗奈という候補に「不安現象」として表れた。
社民党の増山麗奈は記号的に言えば、反安倍の二分化が形となって表れたといってもいい。
さらに、現在、進行している山口二郎や中野晃一が中心として動く政治カンパニアは、没落を恐れる中間層、の過剰な自意識が形として表れた。それは、実は社会全体から見れば退行である。
「市民連合」「野党共闘」は「中間層の利益」を代表しているのに「国民全体」であるかのように語るのもまた、階級という具体を忘れたゆえの退行現象である。それもまた危機を招くであろう。
では、その二分化、退行を食い止めて安倍政権を変えるにはどうすればいいのか。
それは人民の政治への参加を変えることである。
簡単に言えば、選挙₌民主主義という「ドグマ」からの解放こそが、安倍政権の廃止に向かうのだ。
投票は寡頭制である(アリストテレス)。


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