過激派がなぜ過激な行動に出てしまうか?それは過激派だけの責任ではない

なぜ、過激派セクトが生まれてしまうのか、それは、人民が日本社会では憲法上、許されている権利を行使するだけで、国家権力だけではなく、あろうことか、国家権力に反対すると自称する政党までが、弾圧しに来るから、弁証法的な展開のアンチテーゼである命題として、それら人民を弾圧する機関を乗り越えるべく、力、を備える運動の実践の志向に至るのは何らおかしくもなく、戦術がめちゃくちゃではあるが、その戦術は、力の備えであるから、それは、その部分だけとりあげて、問題視するのではなく、過激派がもともと過激でもなんでもなくて、過激にならざるを得ない状況を、国家だけではなく、国家に反対すると自称する政党までもが、過激派を生む環境を準備してしまう。
過激派が過激に至ったことを過激派の自己責任であるかのように語る言説は、全て権力主義及びマッチョである。
私が以上のような文章を書いただけで、普通を自称する市民とやらが、お前は過激派の味方か、とヒステリックな叫びが聞こえてくるのがわかる、というかFacebookくらいだから、読んでいる人いるのかなあ、なんだけど…
ま、それは、ともかく、その普通を自称する市民と国家に反対すると自称する政党の、陰湿な野合が、右傾化を促進する培養土であることは、私の認識である。その培養土が過激派を招くのである。


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