民主主義社会で選挙管理委員会でもないのに投票をよびかける愚かなバカにはつきあいきれない

やたら、投票に行こう、と浅はかなことを言う人いるけど、そんなこと、選挙管理委員会がいっているから、なぜ、単なる有権者の一人が投票に行こう、とまるで中立的であるかのように語るのか、SEALD ‘ s 含めて、頭、悪いでしょ。なぜ、どこかに投票するかもしれない有権者が投票を呼び掛けるのは、どんな機能を果たしてしまうか、だ。そんなもん、何か裏があるんですか、どこかの党に投票してほしい、という暗黙の依頼ですか、と、俺なんか思うだけ。
まあ、確かにね、企業が、民主党に入れろ、自民党に入れろ、と従業員に指示して、まるで、中立であるかのような、企業の投票に行こう、というアホらしいアナウンスが、あるけど、そんなもん、アホらしいから無視するが、透明かつ中立を装おっているくせに、反安倍を標榜するSEALD ‘ s が、呼び掛けるのは、選挙撹乱ともとれるバカな呼び掛けだ。
われわれ、人民が言えるのは、安倍晋三政権でいいですか。わたしはいけない、と考えます、だけだ。
それが民主主義だ。
任意の明らかな支持政党をもつ任意の有権者に投票を呼び掛ける権限はない。煽動でもしたいのか。
民主主義は人民の権力への規制である。投票は民主主義ではない。寡頭制である。われわれ、人民は選ばされているだけであり、その証明が数々の公約違反である。公約違反には選挙で対抗するのではない。罷免である。
投票は民主主義ではない。寡頭制である。これはアリストテレスが言った政治学の基本ですからね。投票は民主主義ではないは裏返せば、カールシュミットの拍手と喝采で選ぶ、という独裁制を裏付けるかのような論理だが、アリストテレスは、くじ引きが民主主義だと断言している。そのくじ引きこそが独裁もまた民主主義を止める。
民主主義とは、君主制に対置する政治上の概念だから、民主主義の反対に独裁制を置くのは間違っている。
独裁もまた民主主義である(カール・シュミット)
ファシズムとは民主主義が破壊されたから生まれる政治上の形態ではない。むしろ、逆に民主主義が進みすぎた結果のアイロニーの政治的反転形態だ。
日本では民主主義が進みすぎている。だが、民主主義を支える要素の「自由」を「民主的国家」が侵害していく。
われわれは、安倍政権に反対すると言ってまた別の独裁型権力を招く愚を犯している過程に現在置かれている。国民連合政府もまた「ファシズム」である。

投票を呼び掛ける愚かなSEALD’sもまた人民の秘密投票の権利(自由だ)を侵害する「ファシスト的行為」であることに気づけない愚かな阿Qである。


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