人は自分の知り合いからゲイと言われてそのときのリアクションで初めて本性があらわになる

僕はゲイではないけど、ある人間に向かって、俺、実はゲイなんだ、とカミングアウトされたときのそのリアクションでその人の人権への理解度がバレバレに見えてしまう。最近ではゲイは芸術的センスがある、というゲイの属性となんら関係ない説があるので、ゲイと言われた側は、きみって、だから、センスがあるんだよね、と妙な評価するのも、はたしてゲイを認めているのか、私には疑問である。たまたまゲイである人が芸術的センスがあったとすれば、それはその人の芸術に対する学習の結果であり、なんらゲイとは関係ない個人の特技である。 
海老名市議員の同姓愛は異常だ、は論外のハラスメントな暴言だが、逆に渋谷区のゲイのパートナーを認める、というのもまた、受け入れつつ、深層心理的には排除したいゆえのパートナー制度にしか見えない。それは、ゲイには異性愛者には持っていない特別な技量がある、という偏見から来ているようにしか見えない。  
ゲイもまた、同じ人間である以上、我々異性愛者と同じように人間の生活をしているのであり、その認識が、異性愛者に必要であるゆえに、例えば、公務員が周りの人間に向かって、実は俺、ゲイなんだ、と言われたときのそのリアクションが、その人間の本性があらわになる。


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