戦時中は、圧制の時期であるにも関わらず、労働者は、職員との差別的処遇に怒り、労組を結成できない時期もストライキを行い、ときには工場の機械をぶち壊したのだ。

私は日本労使関係史を途中まで読んで、戦時末期、職員と賃金差がある、と言って各地の労働者が、使用者に抗議し続けていた事実を知って驚いた。
戦争末期なのでもうその時点で、労組は産業報国会に組み込まれてしまったので、労組の闘いではなく、労働者のその職場単位の勃発した抗議行動がストライキにまで発展した職場もあった。
多くは不良品を作る、もしきは無断欠勤、怠業だ。
ストライキが起きた場合、警察が介入するのだが、なぜか多くの警察は労働者の味方をし、労働側の勝利になった、という歴史の事実を知ってこれにも驚いた。
警察はストライキが起きたら、労働者にお国のために生産力を上げるのだ云々かんぬんと説諭を行い、経営者にはお国の労働者をひどく扱うのはけしからん、みたいなことを言い、懲罰を与えたのだ。
というのは昭和研究会の流れを政府は労働政策をとっており、労働者も、職員も、経営者も、一家である、という価値が覆い、労働者を尊重すること、処遇をよくすることを産業報国会は上から企業使用者に通達したが、使用者は馬の耳に念仏だったのだ。
そういう背景もあるのだろう。
私がこのくだりを読んで不思議に感じたのは、現在の日本国憲法、労基法が存在する日本で、無抵抗のまま、労働者は長時間労働で過労死していくのか、だ。
戦時中は、圧制の時期であるにも関わらず、労働者は、職員との差別的処遇に怒り、労組を結成できない時期もストライキを行い、ときには工場の機械をぶち壊したのだ。
だのに、なぜ、現在の労働者は無抵抗なのか。
それは非正規が拡大し、労働者が階級的連帯を形成しづらいからだろうか。
理由を現在、探るのはやめるが、そして、日本の労働者のよくあるイメージである働き蜂は、戦後、近代化の進展に伴い、できあがったものではないか。
いま、私が自分の小さなころを思い起こしても、酒飲んで仕事するおっさんもいた。僕のガキの頃は昭和40年代だから、その時期もそういうおっさんはいた。働き蜂日本人は、いつから作られてしまったのか。
そして、戦時中の労組すら結成できない状態で抗議する労働者の事実を知ってから「戦後労働運動」とは何だったのか、という疑問を私に感じさせるのである。
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