いま、反ヘイトスピーチとか言っているほうが潜在的パリ無差別テロ実行犯になりやすい

いま、反ヘイトスピーチとか言っているほうが潜在的パリ無差別テロ実行犯になりやすい、(パリ無差別テロがテロという前提の限りにおいて)そういうと在特会ではないのか、と言われるだろうが、在特会なんかその場で攻撃衝動を発散しているから、あんなもんその程度だ、だが、反ヘイトスピーチで自分を縛った人間のその無意識の抑圧にある暴力衝動が押さえきれないとき、それがリアルに転移したら確実に「パリ無差別テロ」になりかねない。
このわかりやすいたとえがいじめっこは先生の前では優等生だ。そういうことだ。
善意だけある無知が、テロリストを社会的に育てる要因のひとつだ。人間をどのように育てようが、攻撃性は残る、その認識が「善意だけある無知」は知ろうとしない。


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