「空気を読む」日本人は国民性でもなければ民族性でもない

日本労使関係史をまだ前半の前半を読んでいるが、そのあたりは日本近代工場の黎明期及び成長期だが、そのころの労働者は、親方、渡り職工、徒弟の3タイプがあり、親方が、渡り職工や徒弟を管理して、工場の経営者は、現場の管理が経営者の技量不足によりできなかった。徒弟時期は、修行時期でもあるので、すぐやめるということはないが、渡り職工のレベルに成長すると、労働者は、自分の腕を高く買ってくれるところへ移動するので、企業は悩みの種だった。
この事実からわかるのは、日本の労働者が一つの企業に従属して働くというのは、なにも日本人の国民性でも民族性でもなく、企業の労務管理が進んだ結果、(つまりは労働力確保の安定ができなければ生産力の上昇もないので)、その形態に日本の労働者がそれに準じたほうが「メリット」がある、という判断から来たものであろう。
つまり、日本人の一糸乱れぬ行動も、空気を読む行動も、明治初期の労働者には皆無であり、その証拠が彼ら労働者は、賃金を手渡されたら、翌日は工場を休む、というそのアナーキーな行動からわかる。企業はこの対策に、賃金は、休日前に渡すということで対処した。
というか、まるで日本人の特徴であるかのように言われる「空気を読む」など過去の日本人には皆無であることは、夏目漱石の坊ちゃんをよめばわかる。
坊ちゃんが空気を読んだら、坊ちゃんは成立しない。
空気を読む、はむしろ、近代のシステムが日本に定着し、その歯車に合わせたほうが得策だというそのころにできたものであろう。

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