選挙の期間が短いのに、選挙₌民主主義のすべてであるかのように語ることに意味があるのか

選挙の期間が短いのに、選挙₌民主主義のすべて、そして違憲といってもいい公職選挙法に縛られた日本の選挙など、しかも小選挙区制、というこの状態では、選挙だけで日本の政治を改善させるというのは思い込みにすぎない。
たとえば、アメリカの大統領選挙戦のような長い期間で行われれば、支持者の「クリントン」「トランプ」「バーニー・サンダース」といったプラカードやそれをもったその自然な動きが「デモ」である。
このような状態こそが「民主主義」である。
だが、日本のデモと政党はなんら関係性もなく、むしろ、その関係性を否定し、「中立」だの「ワンイシュー」だのどうでもいい言葉を掲げるデモではなんら効果はない。
むしろ、デモはある政治家、たとえば、山本太郎のような人間を担ぎ、反原発デモ、山本を首相に!(俺は賛成しないがw)という動きでなければ、意味があるのだろうか。
というか選挙は、自民党に投票しましたか?もしくは、民主党右派に投票しましたか、という確認作業になってしまっている。
いつも、まるで季節の風物詩のように選挙になると、騒がれる選挙に行こう、という絶叫はなんに役立っているのか、さっぱりわからない。
もう、日本の政治は議会や選挙で治癒できるような状態ではないから、SEALD’sのような若者が頻出したのである。
そんなときに、国民連合政府なんて、旧来墨守のような考えの日本共産党も、そのアイデアに敵対する民主党も、結局は自民党一強の補助輪に化した。
政党政治がこうも「デカダンス」であるならば、主権者の「人民」は、あらゆる民主主義的行動にうってでるしかない。

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