山本太郎のような幼稚な独立国家願望者は、自分が独裁者になって独立国家を建設すればいい

山本太郎のような幼稚な独立国家願望者は、自分が独裁者になって独立国家を建設すればいい。
グローバル資本が活躍し、日本国内でも「外国人労働者」が増加し、国民国家のエッジが消えかかっているこの時代に「独立国家」を標榜することは、それは「イスラム国」のようなデストピアに変貌することが、山本太郎のような幼稚な独立国家願望者には見えていない。こういうのを「あきれ返るほどロマンチストだぜ」(遠藤ミチロウ)というのである。
逆に言えば、日本が「独立国」を強固に形成しだすと、それは単なる「天皇制軍国主義国家」に至ってしまうので、まだ、アメリカ帝国主義の従属にあったほうが「無難」であるのだ。
逆に言えば、日本が「独立国」を強固に形成しだすと、それは単なる「天皇制軍国主義国家」に至ってしまうので、まだ、アメリカ帝国主義の従属にあったほうが「無難」であるのだ。
つまり「戦後民主主義」とはアメリカ従属の言い換えに過ぎない。
であれば、われわれ人民は積極的にアメリカの従属をもっともとめるべきなのだ。
そのアメリカの従属が、日本を弁証法的に天皇制廃止へ至らせるだろう。
実際、もう天皇制は、すでに日本の支配力を失いだしている。
今、天皇制を叫ぶことは、シャルリー・エブドのポンチ絵のムハンマドに怒るような時代遅れの人々だ。
近代国民国家のエッジの消失が日本政府から社会権の義務行使を捨てさせ、集団的自衛権という実は単独戦争の願望が跋扈してしまう。近代国民国家のエッジの消失のシンボルが「無人島の尖閣」をめぐっての「領土論争」だ。
無人島をめぐって「領土論争」それ自体が近代国民国家のエッジの消失というポストモダンな状況である。
もう、すでに近代国民国家の死滅もはじまる。
その兆候がアメリカ帝国主義の衰退とそれとは逆にイスラム国の勃興だ。
だが、そのことを「帝国」などといってはいけない。
なぜならまだわれわれは資本主義社会の暴力の中に生きているのだから。


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