私から見るとSEALD’Sの中核派、全学連、革マル排除は、銭湯の外国人お断りの張り紙にしかみえない

私から見るとSEALD’Sの中核派、全学連、革マル排除は、銭湯の外国人お断りの張り紙にしかみえない。先端的にみえるSEALD’sにも残念ながら日本人の、特に田舎の価値観、「ウチとソト」原理が機能しているのをみて、日本の「封建制」はこのように維持されるのか、と私は考えるのである。
第三者的に見て、中核派にもSEALD’Sも特に、どうでもいい、まったく私にとって関わりたくない私から見れば、「安倍政権批判」という価値観を同じにしながら、争いあうのは、「ウチとソト」か「沽券」か「おれこそ反安倍の中心」だ、と言いたいだけの「独裁型権力」の発露ではないのか。(日本共産党のことも言っているが)。デモに来てね、だが、あんたはダメよ、というのは原理的に成り立たないのではないのか?現場に来い、来い、と防衛隊は言っておきながら、あ~、中核派の君はだめ、って論理的にめちゃくちゃでしょw
一方ではデモに来い、一方では排除。
これって日本の「世知辛い」商人、さっきあげた銭湯、のようなもんで、それが「封建」ということだ。
SEALD’S防衛隊と奥田愛基の頭は「封建的ガラクタ」でいっぱいだ。
だから「民主主義の伝統」という「封建」を平気で言える。
「民主主義」が「伝統」化したら、それは「民主主義」ではない。「型」だけ「民主的」に見える「封建制」だ。
日本にいつ「日本国憲法」のモデルニテが実現されるのか?

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