日本の平和を維持できたのは、SEALD’sが言った「民主主義の伝統」ではない、日本国憲法第9条、特に第2項が守ったのだ

立憲主義は外見的立憲主義と実質的立憲主義がある。大日本帝国憲法は前者だ。日本国憲法は後者だ。
問題は「立憲主義の回復」ではない。
日本国憲法は、「主権は在民」にあり、その「在民」の権利だということを「反安倍」がまず理解することだ。そのことが「立憲主義」だが、「立憲主義」は抽象的な論争で終始してしまう。
具体的に「日本国憲法」は「在民」のrightsだということを言う。
日本国憲法の制定論争に巻き込まれること自体、保守派の罠である。
日本国憲法をアメリカ人がつくろうが、宇宙からやってきたトミー・リー・ジョーンズが作ろうが、構わないのだ。
制定過程を問う前に、闘う武器が「日本国憲法」がもっとも強い武器であれば、その武器を使用すること。
日本の平和を維持できたのは、SEALD’sが言った「民主主義の伝統」ではない、日本国憲法第9条、特に第2項が守ったのだ。
そのことを忘れてはいけない。
いつのまにか日本国憲法を権利として使用する、という考えからなぜか、「立憲主義の回復」という単なる学者のサロン話に変化した。
われわれ「在民」は憲法学者も頼りにはしていない。
今、闘っている最中であれば、日本国憲法を使用すること。
その日本国憲法を「誰が」作ったかにこだわるのは「小市民根性」以外何物でもない。

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日本の平和を維持できたのは、SEALD’sが言った「民主主義の伝統」ではない、日本国憲法第9条、特に第2項が守ったのだ」への1件のフィードバック

  1. 健康 でリブログしてコメントを追加:
    心配しています。

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