国家は他国との関係において国家であることから考える違憲政府とは

国家はその国家内にいると、国家内部の矛盾ばかり気になり、立憲主義を守れ、という叫びが校則を守れみたいな話に堕落してしまう。だが国家は他国との関係という視点で見ると、立憲主義は普遍的な戦略に立つ。ある国家が「憲法」を守らないということは、他国からみればまさに「国家としてつきあっていのか」という問題になる。日本は建前は憲法が基本にある国家であるので、そのような国家で明らかに違憲を推進する人物が首相とは?本当に憲法が活かされているのか。それは「危ない国家」ではないのかとみられるのではないだろうか。
たとえば、日ロ外相会談の北方領土が交渉決裂なのは、ロシアは「日本が第2次大戦後の歴史の現実と国連憲章を受け入れることが問題の前進のために不可欠だということだ」としごくまっとうすぎる主張をしているが、これは背景には安保法案という違憲国家への「懲らしめ」ではないのか?
私はそう見るが。
「懲らしめ」というと変に反応する人がいるので、「牽制」ではないか。
ロシアとうまくいかなくてもアメリカがあると能天気に考えてはいけない。
どちらにつく、という問題ではない。
他国からみれば憲法を守らない国家が、民主主義を建前にしている国家があっていいのか、それはどうアプローチすればいいのか、ではないか。
これは実は君主が法なりより外交上は危険である。
なぜなら君主が法なりであれば、ただ他国からの外交官と商売人はその君主に頭さえさげればいいのだ、そうすれば、外交や商売はできるのだ。(できない場合もある)
だが、民主主義を建前にしている国家でその基本である憲法を無視する国家に他国の外交官はどのようにアプローチしていいのかわからないのではないか?というのは政府が違憲を推進していれば、ちょっとした発言も「言論の自由」を無視され本国へ強制送還される可能性もある。
日本を民主主義の国と信じてきた俺がばかだったという外交官をはじめ外国人が増えると、日本は明らかに窮地に追い込まれるだろう。

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