「集団的自衛権」だとかいうのは時代遅れで~す

確かに冷戦構造では 「集団的自衛権」の意義はあったというか、その構造が「集団的自衛権」を要請したのである。だって「西側」「東側」という「集団国家」じゃない。しかも「第三世界」という「集団国家」までおまけつき(笑)。その第三世界を「集団的自衛権」の名のもといじめたのが「西側」「東側」それが「集団的自衛権」。
だが、いまや冷戦構造が終焉し、(理由はレーガンが仕掛けた軍拡競争にソ連の財政がもたなくなった)、元・第三世界の一部は中国のような強大な市場主義国家になり、一部は搾取されたままであり(アフリカ)、一部は反米左翼と化し(南米)、一部は宗教的原理主義で「元・東西陣営」に「相対化」を迫り、その「相対化」は中国のようにマネーもあるが、イスラム国のようにテロという手段もある、そのテロに「集団的自衛権」だとかいうのは時代遅れで~す。
というのは「テロ」は刑法の領域だからだ。
対テロ戦争なんて、語義矛盾なんだよ。
つまり、テロ?戦争?どっちやねん、なんだよw

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