50代くらいのおやじの情けなさ-­「安倍晋三」から見えること

最近の50代くらいのオヤジどもは、弱者保護をする法や制度を踏みにじることが、常識に対する突破、反撃、革命、とそういう気分で生きている幼稚な連中が多い。その実例が「安倍晋三」や「百田尚樹」だ。
彼らの心理は、強いものが弱いものに虐げられているのは「おかしい」と自分がまるで、虐げられているかのような物言いをする。
曰く「いつまで謝罪すればいいんだ」と。
だが、「いつまで謝罪すればいいんだ」というその言葉こそが幼稚な甘えである。
その幼稚な甘えを彼ら「安倍晋三マインド」の持ち主は、虐げられている、と、だったら、攻撃に転じよう、という心理的倒錯に陥る。
自分たち加害者なのに、被害者だと、とにかくそこを強調する。
これは「独裁者」でもなければ「ファシズム」でもない。
「小役人」の発想である。
「独裁者」は、アレックス・コックスの映画「ウォーカー」のように「自分」は虐げられている、という幼稚な甘えをしない、常に独裁者として、独断的に前へ歩くだけであるが、「安倍晋三マインド」の持ち主は常に前へ独断的に歩くことだけの「願望」だけをいっぱい腹につめて、いつも「安倍談話」のような「中途半端」な独断で終わる。それは「小役人」だ。

安倍晋三マインドは常に上を見ながらの「独断専行」だ。
だが「独裁者」であれば「上」を見る必要はないではないか。
ゆえに「小役人」である。
我々日本は、「独裁者」ならまだしも「小役人」にいい気になって支配されているという情けないことになってしまった。
それら「小役人」は50代くらいのいい年こいた「オヤジ」どもである。
このことが日本の劣化といい、決して「独裁」「ファシズム」という政治的用語で語る現象ではなく、単に人間が小粒になった。
その小粒が50代オヤジを中心に日本に形成された、という情けない事実である。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中