それは「教育」なのか?「風習」にしか見えない

現在、川上麻衣子の先生の思い出というのをラジオで聴いているが、というか、流れてくるので聞かされているが、川上麻衣子の教師は、あるクラスの男の子が駅で騒いでいたので、そのことを先生に報告したら、それは注意しなかったものも悪い、ということで、なぜかクラス40人全員が廊下に立たされ、一人ずつびんたをして、さらに生徒の中でもっとも体格のいい生徒に自分を叩かせて、それを見ていた生徒が泣き出す、という奇妙な教育に、川上麻衣子は感謝している。
川上麻衣子は頭が悪いのか?
その行為だけみたら、奇妙な「儀式」にしかみえない。
しかも、目的がわからない。
なぜ、駅で騒いでいただけで過剰な対応「クラス40人全員が廊下に立たされ、一人ずつびんた」をしなければならないのか。
さらに自分を叩かせる。
これは過剰なバロックな儀式以外に見えない。
いったいなにをこの教師はなにをしたかったのか?
なぜ、川上麻衣子はこの教師に感謝できてしまうのか。
奇妙すぎて気色悪い。

それは「教育」なのか?「風習」にしか見えない。

これは日本の連帯責任という教育が行わせた過剰なバロックの儀式である。

「連帯責任」

この奇妙な風習はどこから由来するのか。

文化人類学的に興味がある。

「連帯責任」が反転すると「自己責任」に変わる。

だが、共通して問われないのは「責任者の責任」である。

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