社会運動は自分の好みや「感覚」ではないからね

社会運動は自分の好みや「感覚」ではないからね。
現在のSEALD’Sに対する私が感じる違和感はそれが「感覚」の問題に左右されていることだ。なぜ、安保法制に反対するのかを「論理的」に説明できていないから、武藤ごときに「戦争は行くのは嫌な奴は利己的だ」というこれまた「感覚」の反応を招いてしまう。戦争に行きたくないのは「正義」だというSEALD’Sの論理の根拠は何なのか?それが具体的でない限り、先は切り開けない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中