日本のものつくりという信仰はなぜできたのか

米ソ冷戦の合間、米ソが軍需物資以外の工業製品の生産が低下したので日本が軍需物資以外の工業製品を労働者に対する賃金ダンピングの結果、低価格で市場を獲得できたので、そのときになぜか、多くの「社会音痴」のアメリカの経営学者がなぜか、日本をすごいと言い出した。
だが、日本の工業製品の世界における市場の獲得は、米ソが軍需物資を中心に作らなかったその結果でもあるので、日本の技術力でもなければ、低価格でもない、単に生活に必要な工業製品を日本製でアメリカの消費者が賄っていたに過ぎない。それにうれしいことに日本の労働者の賃金ダンピングによる低価格だ、と。
日本のものつくり、なる奇妙な宗教のような語りだが、日本のものつくりの戦後のルーツは本国アメリカの労使が相手にしなかったデミングの生産方法を日本の製造業が実直に行った結果であって、日本の職人技とは全く無関係。
日本のものつくりと江戸しぐさとは無論関係ないし、そもそも江戸しぐさなどない。
デミングの生産方法とは、担当者の連携だということです。そのデミングの生産方法が日本では自然のようになっている現在からみると、それは当たり前ではないか、と言われそうだが、アメリカの労使は労働契約の関係で連携などしたくなかった。担当者別だということは前提で職能給だということだ。
アメリカの労使はその職能給で維持しているので、デミングによる生産の「変革」などという面倒くさいことはしたくなかった。だが、戦後直後の日本では労使関係は契約的にもまともに成立せず賃金の規定などもはっきりしていないので、生産力をあげるためならということでデミングは迎えられた。
そのデミングの生産方法が日本のものつくりの教科書だから、それもやはり他国からの真似であって、その真似を行い、1950年代では日本製は粗悪な工業製品だというのがアメリカ大衆の印象を米ソが軍需物資を中心に作っていたので生活用の工業製品は日本製でOKという風に頑固なアメリカ大衆でない限り、受け入れ、アメリカに占める日本製工業製品のシェアが増大した結果、社会音痴の経営学者が、日本がすごい、すごい、とわめきだした。
日本企業の生産方法はあんたらアメリカが無視したデミングでありあんたらアメリカが軍需物資ばかり作っていたのがジャパンアズナンバーワンの真相であり、日本のものつくりという信仰の中身である。
ちなみに日本人が集団作業が得意だから担当者別の連携を受け入れたのではない。
それは生産力を上昇させるための当時の日本のマクロな経済政策・吉田ドクトリンにそっていただけのことであって、特にここに「日本人らしさ」というようなアイデンティティ論争が入る余地はない。
さらにいえば、日本の戦後直後の製造業は、組請負が製造業の製品の部分を作っていた。つまり製品を独立させて作っていたわけで、そのような環境で「集団作業が得意」というのは、事実に反する。
であれば日本のものつくりというのは信仰でもあり、集団作業が得意、というのは外から集団作業を押し付けられた結果に過ぎない。
またもや日本のアイデンティティは主体性がない、といういつものクリシェを私は確認するだけだった。

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